「小町通りはいつも混んでいる」「観光客が多すぎる」「でも鎌倉の経済にとって観光は大切」―これらは鎌倉市民なら一度は考えたことがあるのではないでしょうか。観光と地域の共存という永遠のテーマに、新しい視点で切り込む「リジェネラティブツーリズム(再生型観光)」という考え方が、世界的に注目を集めています。3月7日、鎌倉市内で開催されたイベント、「鎌倉流のリジェネラティブツーリズムを一緒に考えよう!」では、行政書士・宅建士として働きながら、「鎌倉の禅と空手道の縁」を発信している菅倫明さんが登壇。「みんなで鎌倉の観光の未来を考えたい」と、鎌倉の現状と課題、そして新しい観光のあり方について熱く語りました!数字で見る鎌倉の「意外な」現実観光地として名高い鎌倉ですが、菅さんが紹介するデータは、私たちの「常識」を覆します。「鎌倉市は現在17万人の人口ですが、20年後には14万人にまで減少する見込みです。そして意外に思われるかもしれませんが、鎌倉の主要産業は実は観光ではなく、製造業・卸業なんです。特に大船の三菱電機を中心とした産業基盤に依存しているんですよ」菅さんが示したデータによれば、卸業・製造業・建設業は60%以上が60歳以上であり、今後20年で廃業状態になり、市の税収が40%減少する可能性があるとのこと。こうした状況の中で、観光は市場自体も伸びているので、鎌倉の将来を支える重要な成長産業となると指摘します。「観光に関しては今後成長産業となっていくであろうということが言われているので、観光を推進してベースアップし、インフラ整備をしてしっかりと鎌倉市の財政状況、人口状況を整える状態にしないといけないなというので、観光は推進していかなきゃいけないというのが今データ上で分かっています」一方で、小町通りや鎌倉駅東口を中心としたオーバーツーリズムの問題も深刻化しています。こうした現状を踏まえ、菅さんは「リジェネラティブツーリズム」という新しい観光のあり方を提案します。次世代の観光「リジェネラティブツーリズム」とはリジェネラティブツーリズムとは、単に「持続可能な観光」から一歩進んだ概念です。「リジェネラティブツーリズムとは『再生型観光』という呼び方になっていて、意味としては観光資源や環境を、観光を通して回復・再生するアプローチや考え方を示しています。その中には観光客がリピートしたくなる、また訪れたくなるというのも含まれています」菅さんによれば、観光のあり方は時代とともに進化しています。「従来の観光と何が違うのかというと、今よく皆さんがイメージするのがマスツーリズムという大量消費型・環境負荷型の形です。従来型の観光で観光バスでバーっと来て、観光地域をバーっと観光客が見て、観光のものを買ってバーっと帰っていく。それが集中することによって公共施設だったり店だったり文化財に負荷をかけていくというのがこのマスツーリズムです」その後、環境保護を意識したエコツーリズム、持続可能な観光へと発展し、最新の段階として「積極的にポジティブな影響を創出する」リジェネラティブツーリズムが登場したのです。*リジェネラティブツーリズムの最大の特徴は、地域住民が中心となり、観光客と共に地域文化や環境を再生・発展させることにあります。観光客は単なる「消費者」ではなく、地域の文化や環境を守り育てる「参加者」として位置づけられるのです。リジェネラティブツーリズムの実践方法具体的にはどのような取り組みがリジェネラティブツーリズムになるのでしょうか。菅さんは次のような例を挙げました。観光客が参加する修復プロジェクト「鎌倉なんかは竹の被害が全国的に多いので、竹林整備の活動に観光客に参加してもらう。もしくは文化財の修復のために、例えば高台にある神社仏閣に対して荷上げの体験をするとか、重機が入らないので一緒に物を持っていくとか、そういったことでの修復プロジェクトになります」地域の伝統技術や文化体験学習プログラムの提供「地域の住民だけが支えるんじゃなくて観光客も一緒に来てもらって、その観光客と地域住民が交流することによって地域の文化を再生していくという形で、地域住民がそういうプログラムを提供していくのが大事です」地域の産品の優先的使用と消費促進「地域の名産品の販売・利用ですね。これが一番分かりやすい経済的指標になります」地域コミュニティとの交流機会の創出「リジェネラティブツーリズムは基本的には観光客のファン化、地域のファン化という形が一番大事です。それに通じて副次的に地域住民との交流の接触数が増えることによって交流とかそういった形でも地域が一緒に支えていく状態を作るというのが大事です」長期滞在の促進「今はやりのワーケーションという形で、マインドフルネスという形で長期滞在していただくというのも大事な観点になってます」これらの取り組みを通じて、地域全体が経済的・文化的に潤う仕組みを作ることが、リジェネラティブツーリズムの目指すところです。国内外の成功事例リジェネラティブツーリズムの具体例として、菅さんは国内外の事例を紹介しました。「たとえば、富山の楽土庵というところは、古民家を改修した宿泊施設なのですが、地域で散居村の景観や伝統的な手仕事などの文化資源が失われつつあるので、地域住民が自分たちの暮らしを中心に据えて、観光客に来ていただいて一緒に作り上げていくという状況を育てています。」「具体的には、宿泊代の2%をその村全体の保全活動に当てています。そして地産地消の食事はもちろん、散居村の景観を楽しむウォークツアー、地域の文化を体感する和太鼓体験やしめ縄づくり、農業体験などの体験型コンテンツが開発されています。さらに、世界中から地域再生に参加できるDXを活用した散居村保存コミュニティなどのチャレンジも行っています。」海外からは、ニュージーランドのマオリ文化再生プログラムや、イタリアの分散型ホテルの事例も紹介されました。イタリアの事例では、過疎地の裏通りに点在する歴史的建物をホテルとして活用し、地域全体の保全につなげています。これらの事例から見えてくるのは、最初は地域住民の一人や二人から始まった小さな取り組みが、次第に行政や企業を巻き込みながら大きな流れになっていったという点です。成功の鍵は地域住民の主体性にあると言えるでしょう。鎌倉での実践例:空手道を通じた文化再生セミナーの後半では、菅さん自身が取り組む「空手道を通じた体験型観光」の実例が紹介されました。「鎌倉における体験型観光の実例として僕は武道ツーリズムとしての空手道を鎌倉円覚寺にてやっています。武道ツーリズムというのは観光庁が推進している事業になりまして、今後核になっていくだろうというのは言われてます」菅さんが鎌倉で空手道の体験プログラムを始めたきっかけは、意外な事実に気づいたからでした。「僕が鎌倉に来た時に空手やりますって言った時に、空手が鎌倉発祥だということを皆さん知ってるよねって思ったら誰も知らないんですよ。嘘でしょって思ったんですよ。だって1億6千万人ユーザーがいる日本を誇る武道でオリンピックスポーツですよ。誰も鎌倉発祥って知らない」実は空手道は円覚寺との縁で日本武道になったという歴史があるにもかかわらず、その事実を知る市民は少なく、守ってきた空手の師範も高齢化して文化が失われつつありました。一方で、海外の空手愛好家たちは鎌倉の空手の歴史に強い関心を持っていたのです。「オーストラリアの人たちは勝手に調べたんですよ。もともとニーズあったんですよ。『じゃあ受け入れる場所を作ればいいじゃん』なんですよね。そして受け入れの場所を5年間かかりましたけど作った」この取り組みの成果として、オーストラリアから36人もの空手愛好家が鎌倉を訪れ、円覚寺での空手体験、歴史ガイド、精進料理など一連のプログラムに参加しました。参加者たちは感動のあまり涙を流し、特に子どもたちは帯の授与式で感極まる場面もあったといいます。「こんなに素晴らしい文化というのをみんな知らない、いわゆる空気みたいに扱っちゃってる。海外の人たちはこんなことを尊重してるんだというのを知らないまま過ごして、その文化がなくなるということがあまりにも多いんです」この事例は、鎌倉独自の文化資源を再発見し、観光を通じて再生・発展させる典型的なリジェネラティブツーリズムの取り組みと言えるでしょう。また、世界に1億6000万人いると言われる空手愛好家を対象とした体験型観光は、大きな経済効果も期待できます。「空手道で一回来てくれたら、座禅体験や精進料理体験とかをすることによって、観光単価の消費額が上がっていくだろうという仮説を立てています。その体験を長くやるということは宿泊滞在の可能性も増えているということは、消費単価が上がって地域の活性化・資源化そして観光客との地域住民の交流ということで国際交流の可能性というのも非常に広がっています」鎌倉流リジェネラティブツーリズムの実現に向けてでは、鎌倉全体でリジェネラティブツーリズムを進めるには、どうすればよいのでしょうか。菅さんは以下のような方向性を示しました。時間と場所の分散化 「鎌倉の課題解消としては、小町通りに圧迫状態がかかってるから日中に集中してるというのを考えれば、時間との分散をしていこうということになってます。早朝や夕方に体験型ツーリズムの種が発生するということで時間との分散をする」滞在型観光の促進 「滞在型観光をすることによって小町通りに集中している消費額の小さい通過型の観光の方を別に北鎌倉地域とか、それこそ人のいない東の地域とかに滞在してもらって、鎌倉の観光を長く滞在してもらって高い体験型観光をしていただくことによって単価が上がっていく」地域住民の意識改革 「地域住民が観光を通じてまちづくりを自分事化して、観光客・事業所が共に共通認識を持ってまちづくりに関わることが一番大事なことになっています」ただし、実現に向けてはいくつかの課題もあります。菅さんはリジェネラティブツーリズム導入の戦略と課題として以下の点を挙げました。実施コストの増加:「コストが一番すごい問題です。これが一番すごい問題で、お金もありますが、倫理的・時間的なコストも含まれます。私の空手の活動を、和尚様にご理解いただくまで5年かかりました。」地域の受け入れ体制の整備:「地域の方は『受け入れたくない』という方もいらっしゃいます。『リジェネラティブツーリズムって何?必要ないよね』って言われたこともあります」観光客の意識・行動変容の必要性:「共に作り上げていくということを観光客とも意識していただく。そして負荷がかかっていることを理解していただいてゴミを持ち帰っていただくとか、そういうのもちゃんと啓発して理解していただかないと共に作っていくという状況化はできない」効果測定の難しさ:「効果測定をどれで設定するか、例えば体験に参加したということで時間で取るのか、それとも人数で取るのかという形で色々考え方もある」また、鎌倉市民の中にも観光に対する温度差があります。「大船鎌倉や北側の地域の人たちは観光客に満足してるんですね。旧市街の人たちは満足してないという状態で、それの間を取ると基本的には『来てほしくない』という状況になってるんです」こうした課題を乗り越えるためには、地域住民一人ひとりが鎌倉の将来について考え、議論し、共通のビジョンを作っていくことが必要です。セミナー後の質疑応答では、その重要性について熱く語られました。「自分の視点だけで鎌倉を好きと言っても、外から見た鎌倉を意識しないとギャップが生じます。すると外から愛される『鎌倉らしい鎌倉』が失われ、自己満足の鎌倉観だけが残り、最終的には見向きもされなくなってしまいます。地域住民が『鎌倉はこういう街であってほしい』という認識を共有し、海外の方の意見も取り入れながら、みんなで鎌倉の在り方について共通認識を持つことが大切です。行政や特定の人任せではなく、皆で『どんな鎌倉でありたいか』という認識を共有しないと、リジェネラティブツーリズムは実現できません」まとめ:共創する未来の鎌倉観光リジェネラティブツーリズムは、「観光」という言葉の意味を根本から変える可能性を秘めています。観光客は単なる「見る人」ではなく、地域と共に創り、育てる「参加者」となり、地域住民は観光を「我慢するもの」ではなく「共に成長するもの」として捉え直すことができるのです。菅さんの取り組みは、そんなリジェネラティブツーリズムの一つの形を示しています。空手という見落とされていた鎌倉の文化資源を再発見し、それを通じて海外からのファンを獲得し、文化交流と地域活性化を同時に実現する――こうした取り組みが鎌倉各地で生まれることで、「鎌倉流」のリジェネラティブツーリズムが形作られていくのかもしれません。「観光を通じて鎌倉独自の文化を再生し地域を活性化し、街を持続可能な状態にするというのが、このリジェネラティブツーリズムの醍醐味なんです」この言葉に、鎌倉の新しい観光の姿が見えてくるようです。【実施後記】 セミナー終了後も熱心に質問や意見交換が続き、参加者の関心の高さがうかがえました。菅さんは「まずは一人一人が自分にできることを考え、行動することが大切」と強調していました。今後は、今回のリジェネラティブツーリズムをテーマとして、より詳しくどんな動きができそうかを考える定期的な勉強会が生まれようとしています。よければぜひご参加ください!