鎌倉駅から徒歩2分、NIHO kamakuraで開催された新しい音楽講座のレポートをお届けします。「あの曲、知ってる!でも、どんな人が作ったんだろう?」「このジャケット見たことあるけど、どんな音楽なんだろう?」そんな素朴な疑問から、音楽をより深く楽しむきっかけを作る新しい試み。*第1回目となる今回は、90年代ロックシーンの伝説的バンド「NIRVANA(ニルヴァーナ)」*を取り上げました。講師を務めるのは、音楽誌の編集長として数々のアーティストと対話してきた石原ヒサヨシさん。ロック、ダンス、ヨガと多彩な経験を持つ石原さんならではの、独自の視点でニルヴァーナの魅力を解き明かしていきます。「今日は、単なる音楽解説ではなく、時代とアーティストの生き方を通して、ニルヴァーナという現象を見ていきたいと思います」そう語る石原さんの表情は、まるで親しい友人に大好きな音楽を紹介するかのように柔らかです。時代を変えた風―シアトルからの衝撃1991年、アメリカのシアトルから一つの旋風が巻き起こりました。当時、音楽シーンはMTVを中心に派手で華やかなロック音楽が全盛期を迎えていました。そんな中、ニルヴァーナの2ndアルバム「Nevermind」が発売され、予想をはるかに超える4000万枚という売り上げを記録。音楽シーンに激震が走りました。「実は面白いことに、この時期のシアトルって、とても豊かな街だったんです」と石原さん。マイクロソフトの本社があるレッドモンドに近く、後にスターバックスやアマゾンを生み出すことになる、経済的な繁栄の真っ只中にありました。「そんな『金まみれの街』への反発として生まれたのが、彼らの音楽だったんです。Nevermindのジャケットに写る水中の赤ちゃんが追いかけるドル紙幣。あれは、まさにその皮肉な表現でした。ガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズから、カート・コバーンへ。時代のヒーローが移り変わっていく象徴的な出来事だったんです」3年で歴史を変えた天才バンドの顔として知られるカート・コバーンは、どこか謎めいた魅力を持つフロントマンでした。1967年生まれ、パンクロックの精神を受け継ぎながらも、独自の音楽性を追求していきます。「カートは、激しさの中に驚くほど繊細なメロディを織り込むことができた天才でした」と石原さんは語ります。「低音から高音まで自在に歌い分け、シンプルでありながら誰にも真似できない表現力を持っていました」特筆すべきは、その創作の純度の高さです。わずか3年という短い期間で、ロック史に大きな足跡を残すことになります。「Nevermind」は、ポップさとハードコアな要素を絶妙なバランスで融合させた傑作として、今なお多くのミュージシャンに影響を与え続けています。若者たちの心を掴んだ理由ニルヴァーナの楽曲は、90年代の若者たちの心を強く捉えました。その理由について、石原さんはこう分析します。「彼らの音楽は、とてもシンプルなんです。でも、そのシンプルさこそが、実は最も難しい。『誰でもできそうで、でも誰もできない』。そんな独特の魅力がありました」音楽だけでなく、カートの生き方自体が多くの若者の共感を呼びました。既存の価値観に疑問を投げかけ、自分らしさを貫こうとする姿勢は、今でも多くの人々の心に響いています。世界に広がる影響力「面白いのは、音楽だけでなく、カートの着ていた服装までもが世界的な流行になったことです」カートが着ていた古着やフランネルシャツは、「グランジファッション」として世界中で模倣されました。反骨精神から生まれたスタイルが、皮肉にもファッショントレンドとなっていく——それは、まさに時代の複雑さを象徴する出来事でした。わずか3年という短い活動期間。しかし、その影響力は現在も色あせることがありません。カートの死後、ドラマーのデイブ・グロールは「フー・ファイターズ」というバンドを結成し、大きな成功を収めています。知られざる変革への想い1993年、誰もが驚く出来事がありました。 激しい音楽で知られるニルヴァーナが、アコースティック(生音)でのライブ収録に挑戦したのです。普段のパワフルな演奏とは打って変わって、繊細で美しいメロディが際立つステージとなりました。「カートは慢性的な背中の痛みに苦しんでいて、重いエレキギターを担ぐのが辛かったんです。そして、より静かな音楽性への興味も持ち始めていました」と石原さん。この頃、カートは新しい音楽の可能性を模索し始めていました。激しさと繊細さの両方を持つ音楽性に惹かれながら、より静かな表現へとシフトしようとしていたのです。しかし、その変化を見ることはできませんでした。一気に大成功してしまったことで、パンク精神を貫きたい自分と、商業的な成功を求められる業界の期待との板挟みに悩み、それがドラッグ使用を深刻化させ、最後は27歳という若さで自ら命を絶ちました。いわゆる“27クラブ”の一人として、伝説化されてしまったのです。様々な伝説的なアーティストたちが27歳という若さで亡くなっているそうです。石原さんは「カートは、有名な曲の雰囲気通り、破壊的な面はあるけれど、同時に“守ってあげたくなるような繊細さ”を持っていたアーティスト」と語ります。その二面性こそがNIRVANAの音楽を唯一無二の存在へと導いた、といっても過言ではないかもしれません。音楽の向こうに見えるもの「普段、私たちは曲単位で音楽を聴くことが多いですよね。でも、アルバム全体を通して聴くと、そこには壮大な物語が広がっています。それは単なる音楽以上の、アート作品としての価値を持っているんです」会場では実際の音源を聴きながら、時代背景や制作エピソードなども紹介されました。「音楽って面白いもので、時代性と普遍性の両方を持っています。当時のサウンドは今では少し古く感じるかもしれない。でも、その本質的な魅力は今でも輝いているんです」と石原さん。時代を超えて響く音楽ニルヴァーナという現象は、豊かな経済発展を遂げるシアトルから生まれた逆説的な物語でした。わずか3年という期間で、音楽、ファッション、そして若者の生き方までを変えていった彼らの軌跡は、商業的成功と反逆精神という相反する要素を内包した、90年代を象徴する文化現象となったのです。次回は2月13日に開催予定。テーマは、あのマイケルジャクソンです。彼の肌の色の変遷の理由と苦悩についてシェアします。鎌倉の夜に、また新たな音楽の物語が紡がれることでしょう。感想【参加者より(上岡洋一郎さん)】今まで知らなかった音楽好きの方の音楽の見方が少しわかった様な気がしてとっても面白かったなと、一晩経ってふつふつと感じました。何より石原さんが音楽を好きで愛しているのが話で伝わりましたし、スライドもとってもわかりやすかったです!音楽は決してバンドの上手い下手ではなくて、もっとその拝見の時代や政治や、発散できないその時代の若者のモヤモヤを体現するメッセージなんだなと、そして大衆の期待、他のバンドとの立ち位置、商業ビジネスに揉まれながら垣間見える人間的な脆さと力強さを感じられるのも、生々しいアートだと思いました。一晩で音楽を語れるわけはないですが、初めて素直に「音楽って面白いかも。他のバンドのことも知りたい!」と思いました。本当にありがとうございました!【講師・石原ヒサヨシから】どうなるかわからない1回目でしたが、それが逆に楽しく、自分自身も学びの多いセミナーになりました。スライドを作ったり、曲や動画を用意したりする準備は、まさに音楽雑誌をシコシコ編集しているような作業が思い出され、いざトークでぶっつけ展開していく本番は、バンドをやっていた時のライヴに臨むような心境でした。終えてみて「NIRVANA=涅槃・悟り」の意味について考えました。カート・コバーンというのは本当に純粋な、あるいは潔癖な人で、だから好き嫌いもはっきりしていたし、本当の真理を、魂から搾り出すような音楽を求めていた人なんだな、と。その境地としての、「NIRVANA」を目指して、バンド名を名付けていた。ダイナミックなコントラスト(陰陽)がある音楽と生き方で、もがきながらそれを見出そうとし、うっかり転げ落ちてしまった。我々に、素晴らしい置き土産と、永遠に解けないような問いを残して。そういう意味では、充分な27年の人生だったでしょう。きっとNIRVANAに達していると思います。有難うございました!▼▼▼当日のプレイリスト▼▼▼https://www.youtube.com/watch?v=hTWKbfoikeg&list=PLQLSJPnZDWHIqLarxHEakmX31UZ2I8rqP※参考資料文字起こし【1】パンク的なスタンスとインディーズシーン1970年代にイギリスで起こったパンクは、10年ほど経ってアメリカでも新たなムーブメントを生み出しました。産業的な音楽が主流だった当時、「もっと手作り感や生々しさ」を求める若者がインディーズシーンを盛り上げ、やがてアンダーグラウンドからメジャーへと躍進するバンドも出てきます。ニルヴァーナもその一つで、当初はインディーズ志向が強かったものの、想定外の大ブレイクによって、カート・コバーンが戸惑いを深めていったといわれます。【2】ブリーチからメジャーへ、ドラム交代によるサウンドの変化ニルヴァーナはもともと3人編成ですが、実はサイドギターを加えて4人編成だった時期もありました。ただし、そのサイドギターのメンバーはあまり技術が高くなく、レコーディングには参加せずに去っていきます。初期アルバム『ブリーチ』はインディーズでのリリースでしたが、これが噂を呼んでメジャーレーベルに見つかり、その後ゲフィン・レコードへ移籍。ドラムは初期メンバーからデイヴ・グロールに交代しており、「ドラムひとつでサウンドが大きく変わる」という話が語られます。ニルヴァーナが激しく楽器を壊すようなパフォーマンスをしていたのは、産業的に整いすぎたロックシーンへのカウンターでもあったようです。【3】カートの性格と、“売れすぎた”苦悩ニルヴァーナはインディーズ的な精神を持ちながらも、大ヒットアルバム『ネヴァーマインド』で世界中に名が知れ渡り、4,000万枚を超える売上を記録しました。これがフロントマンのカート・コバーンにとっては「想定外に売れすぎた」ことで、大きな負担と葛藤をもたらしたといわれます。いわゆる“パンク的”な突っ張りスタンスをとることで周囲を皮肉ったり、ファッションや髪型を真似されることに対しても複雑な感情を抱いていた様子が語られます。カートは繊細な性格だったため、注目が増すほどイメージや発言が独り歩きし、自分の思いと世間の期待とのギャップに苦しんでいたという指摘もあります。【4】ライブパフォーマンスとカウンター精神「トップ・オブ・ザ・ポップス」など、当時のメジャーな音楽番組に出演した際にも、パンク的なイタズラ精神を発揮して周囲を驚かせました。メジャーの“体制側”に対して挑発的な行動をとる一方で、それが「かっこいい」と評価され、若者たちがさらに流される構図もあったようです。同時期にはガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズがカリスマ的な人気を得ていましたが、そこから時代の潮流がカート・コバーンに移ったともいわれます。「何かを否定して自分を主張する」ロックの王道的スタイルが、当時の若者に圧倒的な支持を得たのです。【5】3rdアルバム『イン・ユーテロ』とカートの勤勉さ2nd『ネヴァーマインド』が大成功を収めたあと、わずか2年ほどで3rdアルバム『イン・ユーテロ』をリリースしました。大ヒット作の次というプレッシャーの中、急いで作り上げた形ですが、原点回帰的な作品のため評価が分かれ、“問題作”ともいわれます。しかし、カート・コバーン自身は勤勉で、ハードなツアーとアルバム制作をこなし続けた一面がありました。『ブリーチ』を“前哨戦”と考えるなら、実質的には『ネヴァーマインド』と『イン・ユーテロ』の2枚でブームを牽引したともいえます。【6】カート・コバーン死去と“伝説”の始まり1994年、カート・コバーンがショットガンで自死したニュースは、ジョン・レノンのときのような大々的な報道にはならなかったものの、若者たちには大きな衝撃を与えました。「27歳で死んだロックスター」という伝説が再び繰り返され、ジミ・ヘンドリックスやジム・モリソンなど“27クラブ”の一員として語られるようになります。ドラッグ問題や夫婦関係、音楽面の行き詰まりなど、死の原因は複数考えられますが、どれも確定的ではありません。ただし、彼が死んだことで音楽やメッセージがさらに神格化され、カート・コバーンの名前はロックの歴史に深く刻まれました。【7】グランジファッションと音楽的影響カートが好んで着ていた古着やフランネルシャツが、一気に「グランジファッション」として世界に広がります。元々は日常的な着古しスタイルに近いものだったのが、ファッション誌やブランド戦略に取り入れられて流行化していったことには、当のカートも複雑な思いを抱いていたと言われます。それでもニルヴァーナが開拓した音楽的手法──「ラウドなのにメロディアス」「シンプルなコードに鋭いアティテュードを乗せる」などは、同時代や後続のバンドに大きな影響を与えました。【8】フォロワーの活躍とアコースティックへの志向ニルヴァーナのドラマーだったデイヴ・グロールがフロントマンとして結成した「フー・ファイターズ」は、今や世界的なバンドに成長しました。カートはドラマーとしてだけでなく、デイヴの作曲・歌の才能を見抜いていたそうです。また、カートが亡くなる直前に収録された『MTVアンプラグド・イン・ニューヨーク』は、ニルヴァーナが本来やりたかった「静かで内省的な音楽性」の可能性を強く示しています。腰痛やツアー疲れ、ドラッグ依存の問題もあって、ラウドなライブが辛くなっていたカートが求めていた新たな方向性――それがアコースティックな表現だったのかもしれません。【9】“涅槃(ニルヴァーナ)”を目指したバンドバンド名の「NIRVANA」は仏教用語の“涅槃”に由来し、苦しみや輪廻から解脱した静寂の境地を指します。実際には、強烈な陰陽のギャップの中でバンドもカート自身も翻弄され、その短い活動期間のうちに幕を閉じました。しかし、彼はわずか3年ほどでロック史に大きな爪痕を残し、“伝説”として語られる存在になります。カートが生きていれば、ビートルズのようなポップ要素に進化していたかもしれない。そうした“if”の想像も多く語られますが、苦悩や激痛を抱えながらクリエイティブな活動を続けるのが難しくなり、最終的には自死というかたちを選んだ可能性もあるのです。【10】ニルヴァーナの普遍性と時代性最後に、参加者同士の対話からは、ニルヴァーナを「音楽だけで純粋に評価できるのか」という疑問が投げかけられます。27クラブの“伝説”や、カート・コバーンという人間のオーラが音楽を特別なものにしている面は否めません。音楽を「いつ」「どんな心境」で聴くかによっても印象は変わります。ロックには、“時代を背景にしたカウンター性”と“時代を超える普遍性”の両方があります。ニルヴァーナの激しい演奏や荒削りな部分が今の耳にはラウドすぎると感じることもあるし、逆にアコースティックな演奏でそのメロディの美しさに気づく人もいるでしょう。そこがロックを語る面白さでもあり、ニルヴァーナというバンドの奥深い魅力と言えます。