鎌倉市の市役所移転問題。ニュースではよく耳にするけれど、「そもそも何が問題なの?」「最近示された新案ってどういうこと?」と分かりにくい人も多いかもしれません。そんな疑問を持つ人に向けて、これまでの経緯と新しい案のポイントを整理しました。▶ なぜ揉めてる? 市役所を安全な場所に移そうとしたら、「市役所は中心地にあるべき」という反対が続出▶ 新しい案は? 駅前に市長室と議会を残し、職員の多くは広い深沢へ移す“二拠点体制”に変更▶ これからどうなる? 効率やお金の心配はあるけれど、今年12月に承認される可能性が高い移転ありきではなく「建て替え」から検討が始まった鎌倉市役所の建て替え議論が始まったのは、2011年の東日本大震災がきっかけでした。「もし鎌倉で大地震が起きたら、市役所は大丈夫なのか?」という不安からです。調査の結果、現在の庁舎は災害に強いとは言えないことが分かりました。鎌倉駅西口にある本庁舎は1969年建設で築50年以上。古い耐震基準で建てられており、耐震指標「Is値」は0.6です。一般の建物なら安全とされますが、防災拠点となる市役所にはより高い基準が求められます。松尾崇市長も「すぐに倒壊するわけではありませんが、その後も職員が安全に業務を続けられるかは保障できない」と話しています。実際、ほかの自治体ではIs値0.75〜0.9を目標に建て替えを進めており、鎌倉市も0.9を目指すべきだとしています。加えて、老朽化や窓口・待合スペースの狭さもあり、建て替えは避けられないと判断されました。なぜ同じ場所に建て替えないの?移転計画が出てきた背景には、「今の場所では建て替えが難しい」という事情があります。まず広さの問題です。鎌倉駅周辺は風致地区に指定され、新しい建物は高さ10メートル(2階程度)までと制限されています。現在の市役所は条例ができる前に建てられており、高さ16メートル(4階建て)。同じ規模の庁舎を建てることはできません。「地下に建てればいいのでは」という案もありますが、隣接する御成小学校の改築工事では中世や古代の遺構が見つかっており、市役所の敷地でも同様の可能性が高いため、大規模な地下工事は文化財保護の観点から難しいとされています。また、「市役所だけ特例で条例を変えれば」という意見もありますが、公平性の面で現実的ではありません。「では耐震補強すれば?」という案については、新築以上の費用がかかるうえ、補強の柱で庁舎がさらに狭くなり、使い勝手が悪くなるという課題があります。こうした理由から現地での建て替えは困難とされ、広い土地を確保でき、津波リスクも低い深沢地区への移転方針が2016年に決まりました。移転計画はなぜ反対されたのか市役所資料から引用最初の計画では、深沢地区に新しい市役所を建て、今の場所には「鎌倉庁舎」として窓口機能を残したうえで、図書館やホールを整備して「市民が集まれる場所」にする構想でした。さらに、駅前の好立地を生かし、一部を民間に貸して収入を得ることも検討されていました。一見すると合理的な案でしたが、市議会では賛否が分かれます。最大の理由は、「市役所は鎌倉の中心にあるべき」という歴史や象徴性に根ざした市民感情です。鎌倉は鶴岡八幡宮を中心にまちが発展してきた歴史があり、市役所が中心部から離れることは「伝統を軽んじている」と受け止められました。さらに、「深沢は液状化のリスクがある」「市街地から離れて不便になる」といった懸念も出されました。市は「調査の結果、リスクは小さい」「窓口を残すから不便にはならない」と説明しましたが、「市役所は鎌倉の中心にあるべき」という思いには明確に反論できませんでした。手続き上のハードル――「位置条例」の壁市役所の移転には、建設費や設計の承認だけでなく「位置条例」という壁があります。これは、市役所本庁舎をどこに置くかを定めた条例で、場所を変えるにはこの条例を改正しなければなりません。問題は、その改正に必要な条件です。予算や設計は市議会で過半数の賛成があれば通りますが、位置条例の改正には“3分の2以上”の賛成が必要になります。このハードルが非常に高いのです。実際に市は2022年に位置条例の改正を試みましたが、結果は賛成16票、反対10票で否決。過半数は確保したものの、3分の2には届かず、移転計画はストップしてしまいました。突如あらわれた「折衷案」2025年4月の鎌倉市議会選挙では、市役所移転への賛否が一つの争点になりました。結果として反対派が議席を一つ増やし、移転に必要な「位置条例」の改正に3分の2以上の賛成を集めるのはさらに難しくなりました。そこで市は同年7月、これまでの移転計画を撤回し、条例改正をしなくても進められる新しい案を打ち出します。内容は、現在の市役所(鎌倉駅前)と深沢地区の両方に庁舎を整備し、鎌倉駅前の庁舎を「本庁舎」と位置づけるというものです。これなら、市民生活に欠かせない窓口業務は両方にあり、職員の多くは広い深沢に移る一方で、「鎌倉中心地に本庁舎がある」という市民感情にも配慮できます。「それで本庁舎と言えるのか」と思う人もいるかもしれません。市によると、実は“本庁舎”に明確な定義はなく、過去の判例では「職員数よりも、議会などの意思決定機関がどこにあるか」が重視されてきました。市長室と市議会を鎌倉駅前に置けば、条例改正をせずとも「本庁舎」とみなせるのです。松尾市長はこの方針転換について「2年半にわたって3分の2の賛成を得る努力をしてきましたが、現実には難しいと判断しました。こだわり続ければ、その間に大災害が起き、市民に迷惑をかけてしまう。だからこそ、早く結論を出して前に進めることを優先しました」と説明しています。「折衷案」の問題点では、この「折衷案」にはどのような課題があるのでしょうか。まずは非効率さです。庁舎が2カ所に分かれるため、市長は鎌倉駅前の本庁舎にいますが、職員の8割は深沢で勤務します。会議を開くにも、移動が必要なのか、オンライン体制を整えるのか、といった課題が出てきます。広い自治体なら分庁舎は珍しくありませんが、鎌倉市の規模で本当に2カ所に分ける必要があるのか――疑問は残ります。次に財政面の懸念です。市は「当初計画と比べてコストが増えることはない見込み」としています。ただ、当初の計画では跡地に残す「鎌倉庁舎」に市民サービス機能を集約し、余ったスペースを民間に貸し出してカフェやレストランを誘致し、賃貸収入を得ることを検討していました。折衷案では市議会や市長室を鎌倉本庁舎に置くため、民間に貸せる余地が大きく減り、当初見込んでいた収入が得られなくなる可能性があります。進め方への疑問もまた、この折衷案には方針転換の仕方にも批判があります。2025年7月の鎌倉市議会全員協議会で突然発表されたことから、「なぜ急に変えたのか」「検討の過程が不透明だ」という声が上がりました。さらに、位置条例の改正を避ける形になっているため、「市議会を軽視しているのではないか」という指摘が出ています。タイミングにも疑問があります。鎌倉市は2025年10月下旬に市長選挙を控えており、松尾市長はこの時、出馬をまだ表明していませんでした。残りの任期わずかでの大きな方針変更に対し、慎重さを求める声も出ています。今後のスケジュール市は2025年8月から9月にかけて、市民向け説明会を集中的に開きます。並行して、市議会の「新庁舎等整備に関する調査特別委員会」でも詳細な検討が進められています。市の資料によると、大きな節目となるのは2025年12月。この時期に折衷案について市議会で最終承認が求められる予定です。承認には“過半数”の賛成があればよく、位置条例改正のように“3分の2”の賛成は必要ありません。また、2025年4月の市議会選挙後の議員の立場を東京新聞の事前アンケートで見ると、移転賛成(条件付き含む):15人移転反対:11人となっており、単純計算では賛成多数。順当に進めば承認されます。その場合、新庁舎は2033年3月ごろの開庁を予定しています。市民生活への影響は?新しい案で市民生活はどう変わるのでしょうか。松尾市長は、移転や建て替えの費用を増税で市民に負担させることはないと説明しています。つまり金銭的な負担は増えません。また庁舎が2カ所に分かれることで、窓口業務が分散され、利便性が高まる可能性もあります。さらに現在の庁舎は防災拠点としての耐震性が不十分とされており、議論が長引くよりも安全な庁舎が早く整備されること自体が大きなメリットになるといえます。結局、何で揉めているの?鎌倉市役所の移転問題は、耐震性や老朽化といった“建物の課題”から始まりました。けれども議論がここまでこじれてきたのは、技術的・財政的な要因以上に、「市役所はどこにあるべきか」という市民感情や象徴性が大きく影響している面が大きいでしょう。深沢への移転計画は、合理性はあっても「中心から離れるのはどうなのか」という思いに押されて進まず、そこで打ち出されたのが折衷案です。条例改正を避けながら進められる現実的な道筋ではありますが、非効率さや財政面の懸念、方針転換の仕方への疑問など課題も指摘されています。2025年12月には、市議会で折衷案の可否が問われる予定です。承認の可能性は高いとみられますが、これで本当に移転問題が決着するのか―議論はまだ続きそうです。これまでの主な経緯2011年 東日本大震災2016年 市役所の移転方針を決定2017年 移転先を深沢地区に決定2022年 位置条例改正案が賛成16票、反対10票で否決される2025年 4月 市議選、反対派多数当選 7月 折衷案(新案)が出される執筆土屋咲花さん元々は新聞記者で、今は鎌倉にお住まいで、ビジネスや社会活動などの取材をされていらっしゃいます。鎌倉周辺でこれぞ!というものがあればぜひお伝えください!